クエイカー教徒のダーニングサンプラー

2018.02.25 Sunday

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    [サンプラー:少女の刺繍布覚書]

    先日の講義でクエイカー教徒のサンプラーについて知ってから、気になって色々調べている。
    写真は、会場に展示してあるクエイカーのダーニングサンプラー。
    質素だけれどキリッとうつくしい。 そしてとても仕事が細かい。

    クエイカー教徒は、西洋の仏教徒といわれているそうだ。
    以前から、刺繍は結果的な瞑想(意図してする瞑想ではなく)に近い気がしていて、特に7時間、10時間と続いていく作業の時は心が凪いでいないとうまくいかないし、あるいは作業を重ねることで凪いでいくのかもと思う。
    そんな中、金沢先生のおかげで難易度としては最高位、そして清貧なうつくしさのクエイカー教徒のダーニングサンプラーを知った(注 ダーニングサンプラーはクエイカー教徒以外も作る)。
    かつてヨーロッパの少女たちが刺繍を義務的に学んだ意味は複数あって、まずはたとえ孤児院の生まれでも、刺繍がうまければ職につけること。
    サンプラーを学ぶことで読み書きができるようになったこと。
    そして、忍耐力がつくこと。

    手芸界では今、靴下などの穴を繕うダーニングステッチがひそやかなブームで、思いのほか簡単な技法によって捨てるしかなかったものを、とてもかわいく蘇らせることができる。
    繕うことで、捨てずに使い続ける。 この思想もまた、クエイカーの教えにマッチする。
    しかし、端の処理や変形したものの繕い、織物のような模様を出すためには、技術力と集中力が必要だ。
    当時のダーニングサンプラーは、今のダーニングステッチよりはるかに難しい。

    日本のかわいい刺繍図鑑で、袈裟や刺し子、器物の怪などを引用して「捨てない」ことの意味を少し書かせてもらった。
    手元にあるもので、良くする。
    それがいかにすてきなことかは、世界各地に残る、繕われ使い続けられてきた生活の布ーーー青森のボロやベンガル地方のカンタ、そしてクエイカー教徒のダーニングサンプラーなどを見るだけでわかる気がする。
    もちろんすてきだけでは語れない。それらは過酷な環境に立ち向かうための布切れの盾として、作り手とその家族の命を守ってきた。
    だからこそ、それらには心に迫るようなうつくしさが生まれ、けして買えない価値があるのだ。

    当時とは比べ物にならない物資の豊かさがある現代、繕いは捨てないだけでなく、増やさないという決意でもあるだろう。大袈裟だけれど、そのことももう少し、考えてみたい。