本を読むという興奮

2016.02.24 Wednesday

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    インタビューでも個人的にも、「どうやって図案を思いつくのですか」とはよく聞かれる。
    物を作る人はおしなべて、よく出会う質問だろう。
    そういう時、ぱっと答えられる人はどれくらいいるのだろう。
    私はいつも、答えられない。本当に、自分が図案を思いつく仕組みがよく分からないからだ。
    ひとつ言えるのは、自由にやっていいのなら、まず迷わないということ。
    図案を書くとき、私は本当に迷わない。
    迷うのはそのあと。刺繍技法や色をどうしていくかという部分である。

    ぼんやりとは思い当たる。
    おそらく、今まで自分が体験したこと、観たもの、感じたことが積み重なって、図案になるのだろうと。
    観た瞬間に「これを刺繍したい」と思うことはあまりないし、思ったとしても、まず刺繍しないで終わる。
    それでもたぶんその「刺繍したい」記憶はどこかに残っていて、「刺繍したいと思わなかった」物事や通り過ぎていく些末な出来事と私の中で絡み合い、いつかペン先に現れるのだろう。
    そういう意味では、好きなものをモチーフにしているのでもない。
    個人的にさして思い入れのないものも、描いていたりする。

    この推察が当たっていれば、特に、書籍の影響は大きいに違いない。
    ブログタイトルでもある「本と手紙と刺繍があれば」、これは人生の中で人以外で大切なものを、出会った順番に並べたものだ。
    どちらかを諦めなければいけないとしたら、私は刺繍を諦める、かもしれない。
    それくらい、病める時も健やかなる時も本とともに過ごしてきた。
    読みたい本があるという幸せ、あの本の続きが読めるという熱狂、こんなにおもしろいのにもう読み終えてしまうという哀しみ。
    素晴らしい本と過ごす時間には、しっかりと編み上げた人間関係(ただの飲み友だちではだめだ)と拮抗する魅力がある、と私は思う。
    しかし本ばかり読んでいると(実際そういう子どものまま大人になった)、自分が体験していないということに不安を持つ。現実で出会っていないということになにか、多大なる損失があるのではと感じてしまう。
    この間観た映画でも、主人公と恋に落ちる書店員の女性がそんなことを言っていて、すごくわかるなぁと思ったのだった。

    だからだろうか、この数年は、空いた時間はほとんど、人と会っていた。
    素敵な出会いがあった。面倒なこともあった。笑ってばかりじゃなかった。泣いたり怒ったりもした。
    これでもかと他人と過ごすことで、人生が多様化した。すべてを受け入れ、許し、守ってくれる人を中心に生きているだけでは、こうはいかなかっただろう。
    そして今また徐々に、本を読む生活に戻って来ている。
    きっかけは〆切が終わり、積んでおいた本を、ふと手に取ったことだ。
    おもしろかった。嵐のように攫われた。よく、これを忘れて生きていたなとすら思った。
    本の中に整然と並ぶ活字は、冷めているようでものすごく熱い。
    色んなひとと過ごし気持ちを上下させて来たからこそ、より物語が魅力的に、心の深くに届くような気がした。登場人物の感情が、絵空事じゃなく腑に落ちる。たとえ物語の設定は突飛でも。

    読書ほど興奮するものはないし、その興奮が続くものもない。
    その気持ちを、すぐにでも刺繍で表したい。
    あぁやはり、読書だけでも、刺繍だけでもだめなのだ。一人の時間も必要だし、他人と過ごす時間も必要なのだ。
    それでもどれかひとつと言われたら、読書に勝る興奮はない、と今は答える。
    感化されて、読むだけではなく文章も書きたくなってしまった今夜。
    書くと自分の中のごちゃごちゃが整理されるからいい。筋道が立ったような気になれるからいい。
    今は、エリクソンの「Xのアーチ」とカズオ・イシグロの「忘れられた巨人」を読んでいる。

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